この話には闘鶏を育てる名人が登場し,名人と王とのやりとりが綴られています。
名人に王が鶏をあずけて育てさせます。
10日経過
王「どうや?」
名人「まだ空威張りして闘争心があるからいけません」
さらに10日後
王「どうや?」
名人「まだまだです。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます」
さらに10日後
王「そろそろどうや?」
名人「目を怒らせて己の強さを誇示しているのでだめです」
さらに10日後
王「さすがにそろそろどうや?」
名人「もう良いでしょう。まるで木でできた鶏のように泰然自若としています」
最近,角界で大きな騒動がありますが,伝説の大横綱「双葉山」は,この木鶏を目指していたと聞いたことがあります。69連勝後に負けたとき,「いまだ木鶏たりえず」と言ったとか。
上の話と似たところが授業にもあると常々思っております。どれだけ自然体で授業ができるか,相手の状況や出方に合わせて臨機応変に授業ができるか,それが私のテーマです。授業後,帰りの車でいつもその日の授業を振り返っています。
酉年ですが,木鶏にはまだまだほど遠いです。