中2の国語の教科書に掲載されている『走れメロス』
この作品の作者が太宰治。

その太宰治の勉強に対する考え方を,以前ブログに書いたような気もしますが,もう一度書けっていう声がどこかから聞こえてきたような気がしましたので,書くことにします。
明治時代の終わりから昭和の戦前までを生きた人ですので,現代にそぐわないと感じる部分があるかもしれませんけれど,非常に考えさせられる内容です。


勉強というものは,いいものだ。代数や幾何の勉強が,学校を卒業してしまえば,もう何の役に立たないものだと思っている人もあるようだが,大間違いだ。植物でも,動物でも,物理でも化学でも,時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ,将来,君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して,それから,けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて,大事なのは,カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは,公式や単語をたくさん暗記している事ではなくて,心を広く持つという事なんだ。つまり,愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は,社会に出てからも,かならずむごいエゴイストだ。学問なんて,覚えると同時に忘れてしまっていいものなんだ。けれども,全部忘れてしまっても,その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして,その学問を,生活に無理に直接役立てようとあせってはいかん。ゆったりと,真にカルチベートされた人間になれ!
太宰治『正義と微笑』より



カルチベート(cultivate)
①〈土地を〉耕す,耕作する,開墾する。
②・・・を栽培(養殖,培養)する。
③〈才能など〉をみがく,高める,洗練する,啓発する。
④〈友情など〉をはぐくむ,深める。・・・と積極的に交わる。