一水四見(いっすいしけん)

認識の主体が変われば認識の対象も変化するという仏教の唯識のものの見方。
例えば,同じ河(=水)でも,見るもの(天人,人間,魚,餓鬼)によって全く違ったものとして現れる。
「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」という古歌もある。


一夏三見

同じ「夏の勉強」でも,見る人(受験生,保護者,桐光の教師)によって違ったものとして見えていてはいけません。三者面談をするのも,29日(日)に〈高校入試説明会〉を行うのも,三者の認識を同じにしていくのが目的です。