アホだと思われるのを覚悟で書きますが,ときどき空想します。
「やる気」が物体だったらどんなにかいいのに,と。

もしもやる気が物体だったら他人に「やる気」を見せることができますから。

僕の,私のやる気はこのくらいです。

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とか表現できれば・・・
「すごいな。君の成績はオール5だ」
「すばらしい。うちの高校に合格させてあげよう」
「ぜひともうちの会社に入社して下さい」

となるかもしれません。

しかし,当然のことながら「やる気」は物体ではありません。心の中にあります。そして,人の心の中は見ることができません。心の中の「やる気」は他人には見えませんから,形として表れたものだけで他人は自分を判断します。(家族や親友はそうではありません。だからこそ家族や親友はかけがえのない存在です。)


学校での評価も同じこと。
定期テストの点数,提出物,授業時の態度や姿勢・・・形に表れたもので,各科目の評定が決まり,それが集まって内申点になります。
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これは本部校の黒板上の写真です。
20年近くこの仕事をして感じることですが,教師が説明しているときに,教師と何度も目があう生徒は内申点が高い傾向にあると思います。そうなるのは,心の中の「やる気」を目に見える形として表現できているからだと思います。

塾生の最終目標は高校入試。入試を有利に戦うには内申点をできるだけ上げるしかない。そのためには,「やる気」を形として表現しなければいけない。だから,塾の授業態度についても厳しく注意することもあります。

生徒に厳しく言う分,自分も頑張らないと「やる気」を見せないといけないと思っています。
こちらのブログhttp://ryuyo.blog.jp/
にも書きましたが,今,頑張って覚えています。